一時は悲しみに暮れ何も手付かずの日々が続いたこともあったという。“民族解放”に向けて粉骨砕身するアフメット会長を突き動かす原動力とは。
アフメット会長は新疆ウイグル自治区南部郊外のケリピン県生まれ。2001年にカシュガル大学物理学部を卒業し、翌年に来日、東京大学大学院理学系研究科で修士号を修めた。2010年には日本国籍を取得し、現在は都内のIT企業に勤務しながら協会での活動を続けている。
「1990年代はシルクロードブームの影響で、日本人の観光客を街中でたくさん見かけました。観光客の人に街を案内したこともありましたよ」と微笑みながら当時を振り返る。日本人観光客らとの交流や、日本への留学経験のある大学教員からの体験談などで好印象を持ったことが、留学の決め手になったという。
元々ウイグル人の来日は大学院進学が目的である割合が多く、現在日本で暮らすウイグル人2000人のうち約200人が博士号を取得しているという。留学生たちは最終的にウイグルに戻って働くケースが多数を占めていたため、アフメット会長も大多数の留学生同様に将来的には帰国する予定だった。
しかし、徐々に暗雲が立ちこめる。
2009年、中国広東省の玩具工場で起きたウイグル人労働者への襲撃事件への抗議活動がウイグルの中心都市・ウルムチで行われたことが発端となり、大規模な衝突により多くの死傷者を出した「ウルムチ事件」が勃発。このウルムチ事件以降、中国当局のウイグル民族に対する弾圧は加速の一途をたどった。
「ウルムチ事件の時は、私を含めた在日ウイグル人たちが中国大使館への抗議活動などを行なったんです。そういう事情もあって、当時は『今ウイグルに帰ると危険かもしれない』という雰囲気でした。それでもいつかは帰れるという期待はあったように思います。しかし、それは大きな間違いでした
2016、2017年あたりからは『在外ウイグル人はもう誰が帰っても危ない』という状況まで悪化してしまいました」(同前)
大きな変化が起きたのは2017年初めごろだ。当時は今と異なり、日本国内と同じぐらいの気軽さでウイグルの親族とビデオ通話で会話をすることが当たり前にできていたという。
「海外に滞在しているウイグル人に対して、親などの親族から『全員帰ってこい』という連絡が唐突に届き始めました」(同前)
変化はアフメット会長の家族の元にも訪れた。それまでは「日本で順調に勉強や仕事ができているんだから、日本で頑張りなさい」と応援してくれていた両親が、突如ビデオ通話中に「早く帰ってきて」と繰り返すようになったという。
「その当時、世界各国で暮らしていたウイグル人がちらほら行方不明になっている、という話を耳にしていました。そのため両親からの連絡にも疑心暗鬼になっており、『今は仕事や子供の学校の都合で、すぐには帰れない』と理由をつけて断っていました」(同前)
そんな攻防が何度か続いたある日、突然ビデオ通話中に中国人の警察官が現れた。どうやら通話を始める前から両親の家を訪れていたようだ。そしてこう帰国を迫ったという。
「親の言うことを聞いてさっさと帰れ、さもないと家族がどうなっても知らないぞ」
アフメット会長の疑念が確信に変わった瞬間だった。帰国を拒否すると、その日から家族との一切の通信が断ち切られた。
家族との連絡が途絶えてから約半年後の2018年3月、唐突にメッセージアプリを介して動画が届いた。そこに写っていたのは、アフメット会長が安否を心配し続けていた父の姿だった。アフメット会長が悲痛な表情を浮かべ、こう振り返った。
「見たことのない内装の部屋で、監視カメラが写っていた。明らかに強制収容施設で撮影されたものでした。父は『ここではよく面倒を見てもらっているから非常に感謝している。この人たちに協力してあげください』と言っていました。明らかに警察に言わされている様子でした」
「テロリストが人質を取って、その動画を相手に送りつけて『自分たちの言うことを聞け』と脅す。そういうニュースの中だけのものだった出来事が突如として自分の身に起きたんです。想像もしたことがない、夢にも思わなかったことが現実になってしまいました」(同前)
https://www.news-postseven.com/archives/20260208_2090862.html?DETAIL
引用元: ・【中国 ウイグル人弾圧・強制収容】「強制収容施設で撮影された父親の動画を見て泣き崩れた」 東大院卒ウイグル人が故郷に帰れなくなった“恐怖の記憶”
国外逃亡阻止でもあんだろうな
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