「倭寇」の主体は「日本人」か、それとも「中国人」だったのか…? その問いから見えてくること
「倭寇」の主体は「日本人」か、それとも「中国人」だったのか…? その問いから見えてくること
東アジアの現状をじっくりと考えるためには、その歴史について知るのが近道です。
そのさいに役に立つのが、『倭寇』という一冊。本書の著者、田中健夫氏(1923〜2009)は、中世日本の対外関係の研究者で東大教授も務めた第一人者です。
(略)
同書より引用します(読みやすさのため、改行などを編集しています)。
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「だれが」という問題はどうであろうか。一四~一五世紀の倭寇のなかには多くの日本人がいた。朝鮮半島におけるかれらの行動は日本人の罪悪史の一ページとして、ながく記憶されなければならない。しかし、倭寇の構成員のなかには禾尺・才人などとよばれた朝鮮の賤民層のものも多く参加していたのである。
一六世紀の倭寇は、中国人自身が、倭寇のうち日本人は一割か二割程度にすぎないと書いているほどで、大部分は中国人であった。中国人が頭を剃って日本人のさかやきのようにし、日本人に変装して盗賊行動をするものもめずらしくなかった。それに中国では東アジアの海上に新たに進出して貿易活動(密貿易)に従事したポルトガル人やイスパニヤ人をもあわせて倭寇とよんだ。倭寇の主力は中国人だったのである。
なお、倭寇に関する文献は、大部分が外国文献なのであるから、その処理には細心の注意が必要である。中国の官憲が、自分の功績を大きくみせるために、倭寇の残忍さや侵略の激しさを誇大に書いたり、捏造して報告したのがそのまま文献に残ってしまった場合などが少なくないのである。また中国人の盗賊行為なども、すべて倭寇の行なったこととして処理されてしまった形跡もある。
「どんな理由で」の問題を考えるにも、一四~一五世紀の倭寇と一六世紀の倭寇とを同一の範疇でとらえることはできない。一四~一五世紀の倭寇が発生した原因は、日本と朝鮮との通交関係の歴史を明らかにし、蒙古が強大な力でおこってきてアジアを制圧した事情、高麗の田制がみだれて国内の政治が弱まったこと、日本国内で南北朝の争乱があり、ことに北九州地方の御家人や農民が窮乏したことのなかにもとめられる。
一六世紀の倭寇が発生した原因は、これとはまったく別で、主要因は中国国内における生産の増大と海禁政策のゆきづまりのなかにあったのである。
「なにをしたか」の問題も、両者は外形は似ていても実体はまったく別で、一四~一五世紀の倭寇が米と人民の略奪を主としたのに対し、一六世紀の倭寇の目的は強行密貿易であった。暴行は倭寇の一面ではあるが、決して全体像ではなかったのである。
「どうなったか」「歴史的意味は」などの問題は、本論のなかでくわしく述べるが、倭寇が東アジアの政治・外交のうえで果した役割、経済活動、文化交流の側面などにも見すごせないものがある。
時代のちがいによってその意味するところや包含する内容のまったくちがう倭寇という言葉を固定的にとらえることは誤りであり、その実体を見失う危険が大きいことを強調しておきたい。
引用元: ・「倭寇」の主体は「日本人」か、それとも「中国人」だったのか…? その問いから見えてくること [2/25] [昆虫図鑑★]
繰り返して来たのだ
現代と同様に技能実習生と言う名目で
過酷な労働を強制してたんだろう
何このワード?
どさくさに紛れての火事場泥棒は今も受け継がれているでしょ
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