【東京】志村けんさん、空き家になっていた自宅の解体工事が始まる 大量の遺品について長兄は「できることなら残しておきたかったけれど、現実的に無理だった」と苦渋の決断
【東京】志村けんさん、空き家になっていた自宅の解体工事が始まる 大量の遺品について長兄は「できることなら残しておきたかったけれど、現実的に無理だった」と苦渋の決断
1: SnowPig ★ 2025/03/08(土) 13:18:09.97 ID:??? TID:SnowPig
突然の別れからまもなく5年が経過する。
国民的スターだった志村けんさん(享年70)の命日を前に、空き家状態が続いた自宅に大きな変化があった。
長兄が初めて語った「遺品整理」の複雑な胸中──。【前後編の前編】
亡くなってから空き家だった志村さんの家が解体に
東京都三鷹市の閑静な住宅街の一角に、赤いれんが塀に囲まれたピンクベージュの外壁が目を引く一戸建てがある。表札が取り外され、郵便受けの投函口が粘着テープでふさがれたその建物からは、時折、大きな物音が聞こえてくる。
驚いて足を止めた通行人の視線の先では、内壁や備え付けの家具を取り壊す解体工事が行われていた。
この家は、2020年3月29日に新型コロナウイルスによる肺炎で急逝した、志村けんさんの自宅だ。
「志村さんが亡くなってからずっと空き家でしたが、3月から解体が始まったようです。取り壊すことにしたのかな。30年以上前からある見慣れたお家ですから、なくなってしまうのは寂しいですね」(近隣住民)
3人兄弟の三男だった志村さん。
この家は長兄・知之さんと次兄(後に次兄の妻)が相続したが、空き家状態が長く続いたことで、近隣からは「放置している」、「廃墟になった」などと囁かれていた。
知之さんの知人が悔しさをにじませる。
「知之さんと奥さんは、必死に家を管理していました。当初は献花に訪れる人もいて、ファンに知られた家だったため、昼間に片付けると騒ぎになって周囲に迷惑がかかるからと、人目に付きにくい夜に自宅を訪れては、空気の入れ替えや庭の掃除をしていたんです。月に2回は通っていましたね。ただ昨年から知之さんの足腰が弱り、杖がないと歩くのが難しくなった。志村さんの自宅の管理がもう限界だったのは、誰の目にも明らかでした……そうした事情もあって、今年の1月に大手不動産会社に売却したんです」
弟の思い出が詰まった家を手離した知之さんは、その過程でさらなる苦渋の決断を下していた。
そのまま残された大量の遺品
志村さんが三鷹市に居を構えたのは、1987年のこと。
7つの部屋を備えた2階建てのモダンな造りで、土地と建物を合わせた購入価格は、当時3億円超とも報じられた。
交友関係の広さで知られた志村さんだが、意外なことに、自宅には数名のお手伝いさんを除き、他人を招き入れることはほとんどなかったという。
つづきはこちら
https://news.yahoo.co.jp/articles/de84e9d7ffa47a8bb33b9968f1c69237f55d7d57
国民的スターだった志村けんさん(享年70)の命日を前に、空き家状態が続いた自宅に大きな変化があった。
長兄が初めて語った「遺品整理」の複雑な胸中──。【前後編の前編】
亡くなってから空き家だった志村さんの家が解体に
東京都三鷹市の閑静な住宅街の一角に、赤いれんが塀に囲まれたピンクベージュの外壁が目を引く一戸建てがある。表札が取り外され、郵便受けの投函口が粘着テープでふさがれたその建物からは、時折、大きな物音が聞こえてくる。
驚いて足を止めた通行人の視線の先では、内壁や備え付けの家具を取り壊す解体工事が行われていた。
この家は、2020年3月29日に新型コロナウイルスによる肺炎で急逝した、志村けんさんの自宅だ。
「志村さんが亡くなってからずっと空き家でしたが、3月から解体が始まったようです。取り壊すことにしたのかな。30年以上前からある見慣れたお家ですから、なくなってしまうのは寂しいですね」(近隣住民)
3人兄弟の三男だった志村さん。
この家は長兄・知之さんと次兄(後に次兄の妻)が相続したが、空き家状態が長く続いたことで、近隣からは「放置している」、「廃墟になった」などと囁かれていた。
知之さんの知人が悔しさをにじませる。
「知之さんと奥さんは、必死に家を管理していました。当初は献花に訪れる人もいて、ファンに知られた家だったため、昼間に片付けると騒ぎになって周囲に迷惑がかかるからと、人目に付きにくい夜に自宅を訪れては、空気の入れ替えや庭の掃除をしていたんです。月に2回は通っていましたね。ただ昨年から知之さんの足腰が弱り、杖がないと歩くのが難しくなった。志村さんの自宅の管理がもう限界だったのは、誰の目にも明らかでした……そうした事情もあって、今年の1月に大手不動産会社に売却したんです」
弟の思い出が詰まった家を手離した知之さんは、その過程でさらなる苦渋の決断を下していた。
そのまま残された大量の遺品
志村さんが三鷹市に居を構えたのは、1987年のこと。
7つの部屋を備えた2階建てのモダンな造りで、土地と建物を合わせた購入価格は、当時3億円超とも報じられた。
交友関係の広さで知られた志村さんだが、意外なことに、自宅には数名のお手伝いさんを除き、他人を招き入れることはほとんどなかったという。
つづきはこちら
https://news.yahoo.co.jp/articles/de84e9d7ffa47a8bb33b9968f1c69237f55d7d57
引用元: ・【東京】志村けんさん、空き家になっていた自宅の解体工事が始まる 大量の遺品について長兄は「できることなら残しておきたかったけれど、現実的に無理だった」と苦渋の決断
>>1
(;´Д`)アチャー
(;´Д`)アチャー
3: 名無しさん 2025/03/08(土) 13:26:20.17 ID:dhnYF
病み上がりなのにコロナで店は大変だからと飲み歩いてたんだっけ
どこまで本当かは知らんけど
どこまで本当かは知らんけど
4: 名無しさん 2025/03/08(土) 13:33:24.70 ID:cJ2a6
メルカリにだせよ
5: 名無しさん 2025/03/08(土) 13:33:36.38 ID:vsOMn
女好きなのに生涯独身だったのか
6: 名無しさん 2025/03/08(土) 13:36:51.04 ID:tK5BM
顔がソックリなお兄さんか
ファンに見られたら大騒ぎになるから夜にコッソリ通っていたのかな
ファンに見られたら大騒ぎになるから夜にコッソリ通っていたのかな
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