【31歳の時に子宮頸がんと宣告】ギャルサーの総代表だった山城奈々が語る 「自分ががんになるなんて全く考えたことなかった、がんは若いからって油断しない方がいい」
【31歳の時に子宮頸がんと宣告】ギャルサーの総代表だった山城奈々が語る 「自分ががんになるなんて全く考えたことなかった、がんは若いからって油断しない方がいい」
27歳で再びモデル業を始めた山城さんだったが、31歳の時に子宮頸がんと宣告された。
そんな波乱万丈な人生の彼女に、ギャルサーの総代表時代、マンバギャルになったきっかけ、子宮頸がんと宣告された時の心境など聞いた。
専門学校を卒業してからはフリーでデザイナーをやっていました。で、数年間働いた後、27歳の時に、再びモデルになりたいと思って、モデル業を始めました。モデル業をして、結婚もして、という時期に突然がんが見つかってしまって。
――それはいつ頃でしょうか。
山城 31歳の時ですね。仲の良い友達2人が子宮頸がんになったんですよ。で、若いからって油断しない方がいいなと思って、一応健診に行ったら、そこで高度異形成が見つかって。がんのステージでは0で、がんになる前の状態だってことだったんですけど、手術しないといけないみたいで。
――で、手術をしたと。
山城 それが当時結婚していたんですけど、かなり強烈で、いろんな大変なことがあって、手術できる状況じゃなかったんです。精神的にも一杯一杯だった時で。
それにがんではないってことで少し安心してしまったのもあって。いろいろ片付けたら手術しようと思っていたら半年過ぎてしまって。
――半年後に手術をしたと。
山城 そうです。「一応組織をとって検査をしますね」って言われていたんですけど、大丈夫だろうと甘く見ていたら、進行してがんになっていたんです。
ステージとしてはそこまでではないけど、まだがん細胞が残っているかもしれないということで、治療をしなければいけなくて。
しかもその手術をした翌日に離婚したんです。離婚はしたし、がんになったしで、当時のメンタルはかなり落ちていましたね。
――症状は何かあったんですか。
山城 いやそれが全くなくて。強いて言えば、おりものが水っぽいかなと感じることはあったんですが、痛みもなかったし、普通に日常生活を過ごせていたから、「こんなに元気でもがんなんだ」って思いましたね。
――どんな治療を始めたのでしょうか。
山城 私の場合は、念のため子宮を全摘した方がいいって言われたんです。子どもも欲しかったので、それは決断できなくて、とりあえずネットでいろんな治療法を集めて。
そしたら地方の病院で、子宮頸がんの治験をやっていることがわかったんです。それに望みをかけて新幹線で通って治療を受けました。4週間に1回のペースで患部に直接塗り薬を塗るんです。それを数年続けて、ようやく寛解になりました。
――がんになってから価値観などに変化はありましたか。
山城 自分自身をもっと大事にしようと思いましたね。「SelfLove」って言葉が最近流行っていますが、健診に行くとか、がん保険に入るとか、少しの違和感でも病院に行くとか、そういうのってすごく大切だなと。
あとは、好きなことを思いっきり楽しんでやろうって思いました。元々好きなことばかりやってきたんですが、自分の死が身近になったことでより強く1秒1秒無駄にしたくないと思って。私生活でも家のインテリアコーディネートが好きなので、そこにお金をかけたり、ホームパーティーをやったり、大好きなワインを飲んだり。
――後悔しないように好きなことをやった方がいいと。
山城 自分ががんになるなんて全く考えたことなかったんです。がん宣告された時は「5年生存率」とかで検索して、死亡率を見て怖くなって。でも自分の人生を見つめ直すいいきっかけにはなりました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c22761c3fd49497c80f1fae2b29bd2f79710d13a?page=1
引用元: ・【31歳の時に子宮頸がんと宣告】ギャルサーの総代表だった山城奈々が語る 「自分ががんになるなんて全く考えたことなかった、がんは若いからって油断しない方がいい」
子宮がん
早期検診
おまえらがハゲ散らかした今でも、おまえらがフェミになって女の敵は女になった世界線でも
とりあえずこの病気は気にしなくて良さそう
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