【社会】そろそろ「学校給食」は限界ではないか…「宗教」や「食物アレルギー」への対応を回避するアメリカではポピュラーな「方法」とは
市民から「ハラール給食」を導入してほしい、という陳情が2023年にあったことがきっかけだ。ハラールとはイスラム教の教典に反する豚肉や酒などの食材を使わないこと、肉類は教典にのっとった締め方をすることである。
北九州市役所は「ハラール給食」は否決したものの、豚肉など28種のアレルゲンを含まない献立の「にこにこ給食」を提供。今回話題になったのは「酢豚」ではなく「酢鶏」を出したことである。「わずか19人のイスラム教徒児童のために4万人児童に影響させたのか!」「弁当を持たせればいいだろ」的な意見が多数ネットには書き込まれたうえに、北九州市役所には1000件超の抗議が寄せられた。【中川淳一郎/ネットニュース編集者】
正直、市役所に抗議電話をしても業務妨害にしかならないと思うのだが、この件については日本の伝統である小学校給食の限界を示してはいないだろうか。給食をめぐっては、2012年、東京都調布市で乳製品アレルギーを持つ小学5年生女児がチーズ入りのチヂミを誤って食べてアナフィラキシーショックで亡くなったことが思い出される。
学校側も事前にその月の献立を保護者に渡しており、アレルギー反応があるメニューが出る場合はそれを食べさせないなどの配慮をしていた。だが、人間に完璧はなく、ミスは起きてしまい悲劇は起こる。
私のような52歳男の小学生時代、アレルギーを理由に学校給食を配慮する例は見られなかった。アレルギー児童が増えたのか、多様性を重視する方向になったのかはよく分からないが、もう学校給食はやめていいのではないか。
公立中学校だって弁当持参だったわけで、小学生でも弁当でよかろう。給食という一律のメニューを提供することで、アレルギー反応を持つ児童や宗教上の忌避がある児童を苦しめることになるのならいっそやめてよいのでは。
そう思うようになったのは、私自身のアメリカの公立中学・高校での体験が大きい。昼食はカフェテリアで食べるのである。小学校でもカフェテリアはあった。カフェテリアは、自ら食べるものを選ぶ場所である。班ごとに席をくっつけて同じものを食べる、なんてことはなく、1人で食べるか、友人の姿が見えたらそこで食べる。私の通った高校では以下に挙げるようなメニューだった。恐ろしいことに毎日同じものしか出さないのだ。そして、すべての食べ物に値段がついていた。また、カフェテリアの外にはコカ・コーラとペプシの自販機があり、それを飲むことも可能だった。メニューは以下の通りである。いずれも1988~1992年の話だ。
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https://news.yahoo.co.jp/articles/d39efbedfd30f0e40e583f8d0d953ca533268bb2
引用元: ・【社会】そろそろ「学校給食」は限界ではないか…「宗教」や「食物アレルギー」への対応を回避するアメリカではポピュラーな「方法」とは
規定にしっかりそうあります
お弁当作るのがめんどい母親が怒るし
あと貧困家庭の子供は給食がないと餓死するって設定がね
子ども食堂界隈で盛られちゃってるからね
ハラルは信条に基づくものなんだから日本の給食が嫌なら弁当持たせればいいだけ、日本はイスラム教じゃない
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