「歴史の前に謙虚で、教訓胸に刻む」 石破首相の戦後80年所感全文
毎日新聞
石破茂首相は10日、戦後80年に当たって先の大戦に関する所感を発表した。全文は次の通り。
◇
戦後80年に寄せて
(はじめに)
先の大戦の終結から、80年が経(た)ちました。
この80年間、我が国は一貫して、平和国家として歩み、世界の平和と繁栄に力を尽くしてまいりました。今日の我が国の平和と繁栄は、戦没者を始めとする皆様の尊い命と苦難の歴史の上に築かれたものです。
私は、3月の硫黄島訪問、4月のフィリピン・カリラヤの比島戦没者の碑訪問、6月の沖縄全戦没者追悼式出席及びひめゆり平和祈念資料館訪問、8月の広島、長崎における原爆死没者・犠牲者慰霊式出席、終戦記念日の全国戦没者追悼式出席を通じて、先の大戦の反省と教訓を、改めて深く胸に刻むことを誓いました。
これまで戦後50年、60年、70年の節目に内閣総理大臣談話が発出されており、歴史認識に関する歴代内閣の立場については、私もこれを引き継いでいます。
過去三度の談話においては、なぜあの戦争を避けることができなかったのかという点にはあまり触れられておりません。戦後70年談話においても、日本は「外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった」という一節がありますが、それ以上の詳細は論じられておりません。
国内の政治システムは、なぜ歯止めたりえなかったのか。
第一次世界大戦を経て、世界が総力戦の時代に入っていた中にあって、開戦前に内閣が設置した「総力戦研究所」や陸軍省が設置したいわゆる「秋丸機関」等の予測によれば、敗戦は必然でした。多くの識者も戦争遂行の困難さを感じていました。
政府及び軍部の首脳陣もそれを認識しながら、どうして戦争を回避するという決断ができないまま、無謀な戦争に突き進み、国内外の多くの無辜(むこ)の命を犠牲とする結果となってしまったのか。米内光政元総理の「ジリ貧を避けようとしてドカ貧にならぬよう注意願いたい」との指摘もあった中、なぜ、大きな路線の見直しができなかったのか。
戦後80年の節目に、国民の皆様とともに考えたいと思います。
(大日本帝国憲法の問題点)
まず、当時の制度上の問題が挙げられます。戦前の日本には、政治と軍事を適切に統合する仕組みがありませんでした。
大日本帝国憲法の下では、軍隊を指揮する権限である統帥権は独立したものとされ、政治と軍事の関係において、常に政治すなわち文民が優位でなくてはならないという「文民統制」の原則が、制度上存在しなかったのです。
続きは↓
「歴史の前に謙虚で、教訓胸に刻む」 石破首相の戦後80年所感全文 https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/mainichi/politics/mainichi-20251010k0000m010170000c
関連スレ
【ライブ予定】石破首相会見へ 戦後80年 メッセージ出す見通し [ぐれ★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1760085014/
引用元: ・「歴史の前に謙虚で、教訓胸に刻む」 石破首相の戦後80年所感全文 [ぐれ★]
The post 「歴史の前に謙虚で、教訓胸に刻む」 石破首相の戦後80年所感全文 first appeared on Tweeter BreakingNews-ツイッ速!.

