MENU

石破首相「戦後80年見解」で言及した斎藤隆夫氏の「反軍演説」 帝国議会で軍部らを批判

目次

石破首相「戦後80年見解」で言及した斎藤隆夫氏の「反軍演説」 帝国議会で軍部らを批判

1: ばーど ★ 2025/10/10(金) 18:22:23.74 ID:UZrRSEst
石破茂首相は10日、戦前の帝国議会で軍部を批判した斎藤隆夫氏の「反軍演説」に言及しながら、戦後80年の見解を出した。斎藤氏が演説内容を軍部などに問題視され、衆院を除名された問題に触れながら見解を述べた。泥沼化する日中戦争の継続に異を唱えたこの演説は一体、どんな内容だったのか。当時の時代背景や演説への反応を探りながら、斎藤氏とはどんな人物だったのかを過去の新聞記事などから追った。斎藤氏は兵庫県豊岡市出石町出身。戦前は立憲民政党の衆院議員で、戦後も政治家として国会に立ち、日本進歩党や民主党などの結党に参画した。

二・二六事件(1936年)後、翌37年に始まった日中戦争が長期化していたなか、反軍演説を行った。これに先立ち、同事件直後には、軍の暴走を止めるための「粛軍演説」も行っていた。

■「いったい中国事変はいつまで続くのか」

昭和15(1940)年2月2日午後、衆院本会議。民政党の斎藤氏が質問に立った。「いったい(3年前に始まった)中国事変(日中戦争)はどうなるのか、いつまで続くものであるのか」とただしたうえで政府批判を展開し始めた。

「ただ、いたずらに聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、国際正義・道義外交・共存共栄など雲を掴むような文字を列べ立てて国家百年の大計を誤ってはならない」

「国家の命運を担うて立つところの実際政治家たる者は、ただ徒(いたずら)に理想に囚(とら)わるることなく、国家競争の現実に即して国策を立つるにあらざれば、国家の将来を誤ることがある」

「二年有半の間において三たび内閣が辞職をする。政局の安定すら得られない。(中略)しかもその器にあらざる者を拾い集めて弱体内閣を組織する。国民的支持を欠いているから、何ごとにつけても自己の所信を断行するところの決心もなければ勇気もない」

この演説は大きな反響を呼んだ。当時の軍部の一部が「聖戦を冒瀆(ぼうとく)する非国民的な演説」だとし、斎藤氏の除名処分を求めた。

議会には「信念」を持って軍部への批判を繰り広げた斎藤氏にそうした処分を出すことに対し「言論の府としての自殺だ」といった否定的な声があった。演説から2週間後の秘密会(第七十五帝国議会)では、元警視総監の丸山鶴吉議員が、斎藤氏の演説を援護するような言葉を残している。

「国民の多数がこれだけ犠牲を払い、子供や兄弟を失い、親を失っており(斎藤の演説のような)気持ちを起こすのは無理はない」

■国会議事録から演説の3分の2が削除される

だが、こうした声はかき消されていった。斎藤氏の演説の内容が「不適切だ」といった理由で国会の議事録からは3分の2が削除され、斎藤氏は3月7日の衆院本会議で除名された。

その後、斎藤氏は昭和17(1942)年の「翼賛選挙」では非推薦で当選する。戦後に入ってからは日本進歩党結成に参加するなど、第1次吉田内閣と片山内閣の国務相などを務めた。

産経新聞 2025/10/10 17:57
https://www.sankei.com/article/20251010-ILMPFC5PWNB4DBD24ALQSVMKWA/

※関連スレ
【産経新聞】 石破首相の戦後80年「見解」政治と軍の関係に焦点 10日発表、無責任なポピュリズムに警鐘 [10/10] [仮面ウー★]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1760033295/

引用元: ・石破首相「戦後80年見解」で言及した斎藤隆夫氏の「反軍演説」 帝国議会で軍部らを批判 [10/10] [ばーど★]

2: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん 2025/10/10(金) 18:23:24.31 ID:hw4U8ySW
2なら正社員

The post 石破首相「戦後80年見解」で言及した斎藤隆夫氏の「反軍演説」 帝国議会で軍部らを批判 first appeared on Tweeter BreakingNews-ツイッ速!.

続きを見る

  • URLをコピーしました!
目次