【韓国から見た国宝】「私たちは日本の伝統芸術を眺めているのではない」 在日コリアン3世の監督に注目「自伝的物語の…」
李相日監督の映画『国宝』は、まさにこの女形の人生と芸術、そして魂の深層に潜む苦悩を、執拗でありながらも繊細に追っていく。
韓国では、男性が女性の役を演じるという点に違和感を覚える人もいるかもしれないが、映画が幕を開けた瞬間、
スクリーンを満たす優雅で圧倒的な美しさは、そうした先入観を一瞬で拭い去る。
興味深いのは、最も日本的な芸術を描いたこの映画を演出しているのが、在日コリアン3世の監督であるという点だ。
とりわけ「血縁中心の継承か、能力による継承か」をめぐって激しく対立する映画の核心的テーマは、まるで李相日監督自身の
自伝的物語のようにも映る。
それだけではない。『国宝』は、日本映画史に新たな足跡を残したという点でも意義深い。日本国内だけで観客動員数1200万人を
突破し、2003年公開の『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ! 』以降、22年ぶりに実写映画の興行記録を
更新した。
175分という長い上映時間や、日本の観客の高い審美眼に応えるための精緻な歌舞伎舞台の再現は、本来であれば興行の足かせに
なりかねなかったはずだ。それでもなお、そうした制約をすべて越えて多くの観客に受け入れられたという事実は、この作品が持つ力の
大きさを物語っている。
映画は、ヤクザの組長の息子として生まれた喜久雄が、ある偶然をきっかけに歌舞伎の世界に足を踏み入れ、女形として成長していく
道のりを描く。その過程で大きな軸を成すのは、彼の永遠のライバルであり同志でもある俊介の存在だ。すなわち本作は、二人が
究極の芸を求めるなかでぶつかり合い、張り詰めた緊張を抱えながら、やがて芸術の頂へと近づいていく過程を、
濃密に見つめていくストーリーだ。それは実に50年以上という歳月を経て積み重ねられていく。
歌舞伎を始めるのは遅かったにもかかわらず、恐ろしいほどの速度で実力を伸ばしていく喜久雄は、天賦の才能を持つ少年だ。
一方、俊介は歌舞伎の名門に生まれながらも、自身の実力が喜久雄に及ばないことを誰よりも自覚しており、強い劣等感を抱えている。
世襲制度が色濃く残る歌舞伎の世界では、才能だけで成功することはできない。また、才能を欠いた者が血統だけで地位を
受け継ぐことも、恥ずべきことだ。映画は、越えることのできない壁を前にした二人が味わう苦悩と絶望、嫉妬と狂気、そして情熱を
描き出す。
だからこそ、この映画は舞台上の華やかさだけにとどまらない。むしろ幕が下りたあと、観客の視線が届かない場所で
繰り広げられる死闘や、その熾烈さへと静かに踏み込んでいく。完璧な舞台のために自らを削り続け、骨の髄まで染み込むような
研磨の時間に耐え抜く姿は、痛ましいほどに美しい。自分の欠落を埋めようともがき、他者の才能を妬む姿までも、隠されることなく
映し出される。
そうした積み重ねのなかで監督は、舞台を満たす俳優たちの、抑制されながらも優雅な所作や、暗く孤独な楽屋を照らす光を
巧みに用い、感情の層を一つひとつ重ねながら、『国宝』をまるで動く絵画のように紡ぎ上げていく。
なかでも強く心に残るのは、喜久雄が初主演の舞台で、涙をこらえながらゆっくりと観客を見つめ返す瞬間だ。カメラは、彼の顔に
差し込む光と、かすかに揺れる息遣いを、時間をかけて捉え続ける。その表情には、勝利と虚無、歓喜と恐怖といった相反する感情が、
幾重にも折り重なっている。
ー後略ー
キム・ピルナム
全文はソースから
OTTO! 12/31(水) 12:33配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/52842314f4957cf672e121bdc2c8ac53d6c9f50b
引用元: ・【韓国から見た国宝】「私たちは日本の伝統芸術を眺めているのではない」 在日コリアン3世の監督に注目「自伝的物語の…」[12/31] [仮面ウニダー★]
日本人は彼らを大事にしないとね。
お断り、帰れ
と
まぁ、勝手に言ってろとしか
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