バブル期に日本人との間に婚外子、音信不通になった相手 「もっと冷静だったら」フィリピン女性の記憶
>>1/7(水) 17:01配信
共同通信
フィリピン人のマリア(59)=仮名=は1986年、ダンサーとして日本にやって来た。二つの国を往復しながら働き、4回目の来日時に出会った日本人男性との間に長男をさずかった。「あの人は私と息子のためにマニラにアパートを買い、日本から何度も訪ねてきてくれました」。だが、その生活は長くは続かなかった。
1980年代から2000年代初頭にかけて、フィリピンから多くの女性がダンサーや歌手として来日し、日本人男性との間に多くの子供が生まれた。マリアの子どもも、フィリピンで生まれた婚外子だ。なぜ、こんな状況が生まれたのだろうか。(敬称略、共同通信=山岡文子)
「未知の国へ」1年間稽古を重ね、来日
マリアはフィリピン南部のダバオで生まれ、機械工の父や食堂を営む母、きょうだいたちと暮らしていた。
大学生3年生のときだ。いとこに声をかけられた。「ダンサーとして一緒に日本で働かないか」。そのいとこは舞踊団のメンバーで、海外へ行く大統領に同行して伝統舞踊を披露していた。
日本に特別な興味があったわけではない。しかし当時、フィリピンはフェルディナンド・マルコス大統領の独裁政権による弾圧と、それに立ち向かう反政府運動が続き、社会情勢は不穏だった。それに地元のダバオは何もない田舎で刺激に乏しかった。
「未知の国に行って自分の力を試したかった」。来日前の1年間みっちり稽古を積み、プロのダンサーとして日本へ向かう準備を整えた。父親は「若い娘が外国で働くなんて」と反対したが「いとこも一緒だから」と押し切った。
1986年、20歳の時に日本へ。来日と帰国を繰り返しながら富山県、長野県、埼玉県で公演した。
4回目に来日したときは新宿・歌舞伎町のキャバレーで働いた。
ある晩、その日の公演が終わり寮に帰った後のことだった。ママさんから電話が来た。「大事なお客さんの接待に付き合ってくれない?」
寝間着代わりのジャージ姿で居酒屋へ行くと、そこに男性が同席していた。
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引用元: ・バブル期に日本人との間に婚外子、音信不通になった相手 「もっと冷静だったら」フィリピン女性の記憶 [ぐれ★]
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