【社会】老害と呼ばれたくない「新世代型中高年」昭和おじさんは不適切なのか
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00383/
令和を生きる「新世代型中高年」の働きづらさの正体とは?
働き方や生き方のパラダイムシフトが進む今、40代以上が人口の中心を占める「超中年社会」を迎えている。
年長者の希少性は低下し、コンプライアンスという見えない鎖に縛られて、言いたいことをのみ込みがちに。気づけば、傍観や諦観が板につき、会社での存在感が薄れていると感じる人も少なくない。
一方で、長寿化によって「人生の午後」は想像以上に長い。その気になれば、人生を何度でも“生き直せる”時代だ。
こうした現実を踏まえ、令和の大人たちが自らの「心の土台」を再確認し、これからの仕事人生をどう生き抜くかをつづった新刊『「老害」と呼ばれたくない私たち』を出版した。
今回と次回の2回にわたり、本書の中から特に重要なエッセンスを抜粋してお届けする。
初回となる今回は、「新世代型中高年」とは何者なのか……。その正体に迫ります。
かつての大人たちはみんな「偉そう」に見えた。
子供の頃、近所には大抵他人の子供を叱る「おっかないおじさん」がいた。電車では女子高生が笑っているだけで怒り、赤ちゃんの泣き声にも「うるさい!」と容赦なかった。
大人になってからは「鬼上司」や「思いつきでものを言う上司」が社内を大手を振って歩き、私は成田(国際線CAという意味)で3本の指に入る怖い先輩に何か言われるたびに「申し訳ございません」と謝っていたら、「『申し訳ございません』ばかり言うな」と怒鳴られ、怖過ぎてまた「も、申し訳ございません」と返したら、「はぁ~!」と激しいため息をつかれた。
そんな若い頃に見た「偉そうな中高年」は、令和の今、ほとんどいない。どこにいってしまったのか。いや、消えたのは人ではなく、彼らをそうさせていた社会的土壌が消滅したのだ。
たとえば、昭和時代や平成の初期にはまだ「年上を敬う精神」が社会全体で共有されていたし、会社では終身雇用と年功序列が主流だったため、年齢や勤続年数がそのまま権威や発言力につながっていた。インターネットの普及も大きい。かつては年長者が持つ情報や経験が貴重で、それが「偉そう」な態度を許容する理由にもなった。
しかし、権威と情報のあり方が根本的に変わり、スマートフォンで多様な情報にアクセスできるようにもなった結果、威圧的な態度はもはや通用しなくなった。もちろん今の時代も職場で高圧的な態度をとったり、コンビニの店員さんやタクシーの運転手さんに横柄な態度をとったりするビジネスパーソンがいないわけではないが、そんな振る舞いは瞬時にSNSにアップされ、会社にも家族にも知られてしまう。「偉そう」に振る舞うメリットは、もはや何一つない。しかも、令和の中高年のマジョリティーは、威厳や不遜とは無縁の日々を過ごす、「新人類」ならぬ「新世代型中高年」だ。
※以降会員記事
引用元: ・【社会】老害と呼ばれたくない「新世代型中高年」昭和おじさんは不適切なのか [七波羅探題★]
クマと一緒に滅んでいい存在
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